。 【蝶箱】

それは、ある春の日。

カーペットが光に濡れて、まだ未熟な温もりを舞い上がらせた。
呆れるほど麗かな昼下がり。
眠気が、ジョンを襲う。


突然、どこからか迷い込んできた蝶が、目の前を横切った。
目覚めたばかりなのか、ふらふらと羽をばたつかせている。

手を伸ばすと、それは諦めたように手のひらに収まった。
「・・・フレディ、ほら」

ジョンは彼の膝の上で眠る、フレディの耳の傍に、蝶が閉じ込められた両手を差し出した。
やはり急に暗くなってしまったのが不安だったのか、手のひらはパタパタと微かな感触を感じ取っている。

物憂げにフレディは目を開くと、ジョンを見つめた。
いかにも寝起きというその表情に、ジョンの頬がいささか緩む。

「何を捕まえたの?」
「ちょうちょだよ」

大きな黒目が少しだけ輝き、見せて、と彼は、無理矢理ジョンの手を自分の顔の前に寄せた。
その拍子に手のひらの間へと、光が差し込む。

蝶はそれをめがけ、一気にジョンの手から飛び立った。

「あぁ、逃げちゃった」

ジョンがおどけるように残念そうな顔をすると、フレディは子供のように駄々をこねた。

「もう一回捕まえて」
「無理だよ、もうどこかにいっちゃった」

手の中に残された燐粉が音を立てるように零れ落ちる。
「やだ」
ジョンは膝の上で暴れる彼をくすぐったがり、身を捩った。
「無理だってば」

しかし、フレディは諦めようとしない。
しまいには涙まで浮かべ、半ば泣きじゃくるような声で叫び出してしまった。

「蝶が欲しいよ」

ねえ、お願い、とフレディがジョンの腹の辺りに顔を埋めておねだりをする。
だがさすがのジョンも、逃げてしまった蝶を呼び戻すことは出来ない。

しばらく悩んだ末に、ジョンはフレディの酷く潤んだ目を、優しく両手で覆った。

「・・・何?」
「静かに」

小さな子供を諭すように、ジョンは低い声で囁く。
そしてゆっくりと、フレディの額に、自分の唇を軽く押し当てた。

「・・・っ」
やわらかい感触にフレディが首をすくめた。
ジョンの唇は、額から頬、頬から鼻へと、まるで蜜を吸う蝶のように移動を繰り返す。

「あっ・・・ジョン・・・んっ・・!」
ジョンが自分のそれを彼の唇に重ねる時には、既にフレディの息は上がり、
己の瞳を隠すジョンの腕を必死に掴んで、細い脚を震わせていた。

「僕以外を見ている目なんか要らない」
もう一度唇を合わせるときに、確かにジョンはそう呟いた。
そして目にあてがっていた手を放すと、燐粉で薄く化粧を施したその瞼に、親指を這わせる。

「・・・でも、僕がもし君の手に掴まっても、絶対に逃げたりなんかしないよ」
口の角度を変える合間に、フレディはそう言って笑うと、ジョンの手に自分の手を重ねた。
そして、そのまま再び目を閉じる。
唇を離したジョンは、そのまま息がかかる位の距離で微笑んだ。

そして、彼の身体は、フレディにしなやかに覆い被さる。


「大好き」
「僕もさ、ダーリン」
本日何度目かになる口付けは、苦い燐粉の味を思わせた。

春の夕暮れは夜へと傾き、そのまま朝へと果てていく。

ジョンの手に捕らえられたフレディは、我侭を言った罰に酔いしれて、ベッドシーツをかき回した。


蝶の羽は、もう見えない。




【end.】




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